「結婚して子をなすこと」以外に社会的義務を果たすことの方法論

世の中には、結婚して子をなすことが社会的な義務である、という考え方があります。たしかに、それはそのとおりで、なんとも、反論がしがたいのですが、必ずしもすべての人にとってそれができるとは限りません。その場合、どうすべきか、ということを考えてみました。あくまでもこれは一つの意見であり、人を強制したり断罪したりするつもりはありません。

最近、平田オリザさんと藻谷浩介さんの「経済成長無き幸福国家論」という本を読みました。その中で、印象に残った文章があったので少し抜粋してみます。

そもそも「女はみな結婚して子どもを二人ずつ生むべきだ」と考える人がいること自体が問題の解決を遠ざけているのです。そんなことは、有史以来一度も実現していません。結婚しない人もいるし、欲しくても子どものできないことはいくらでもあります。それでも子どもが平均で二人以上となるのは、三人、四人、五人と生む人が少数ですが存在するからです。東京の合計特殊出生率が低いのは、女性のせいでも文化のせいでもなく、子どもを三人以上生む人がとても少ないからです。沖縄はその逆です。家賃や食費や教育費が高い東京では、何人も子どもを持つ負担が大きすぎる。ですが何よりも、「子供には罪はないさ、多くの子供を抱えて生活に苦労している親を皆でたすけてやろう」という意識が沖縄には地域文化としてあるし、東京では一部の個人しかない。その違いが大きいのです(27-28p)

お二人の会談は、この社会の今後の在り方について語っております。上記もその一環で、たくさんの子どもを持つ人について、共同体で支える社会を作るべきと論じております。

ここからが、ぼくの考えに移るのですが、上記で述べられていることは、社会の在り方のみならず個人としての生き方にも応用できるのではないか、、ということです。

もちろん、伝統的な考え方である、「結婚して子をなすべき」、という価値観はそれはそれで大切、かつ、必要なことであり、まずはそれに向かって努力すべき、とは考えています。とはいえ、ここには、①適切な配偶者を見つけ婚姻状態に持っていくこと、②当該配偶者の間に子をなすこと、の2つの関門があります。必ずしも、全ての人がこの2つの関門を突破できるわけでなく、結果として、そういった伝統的な価値観を達成することはできないこともあるでしょう。

その場合において、「子どもを持った人をサポートしその人がスムーズに子どもを育てることができるようにすること」ということが、一つ社会的義務の果たし方になるのではないか、、と思うわけです。日本においても、貧困や孤立により子育てに苦労している人もいるかと思います。また、そこまで深刻でなくても、経済的、家族的事情等により二人目、三人目以上の出産を躊躇する人も、やっぱり多いでしょう。そういった人たちに対して、サポートすることにより、結果として共同体全体の人口を増加させることに寄与できるのであれば、社会的義務を果たした、ということができるのではないか、、と思うわけです。

具体的にどうすべきか、、ということは人それぞれだと思います。親族、友人等、身の回りに子どもを持った人がいれば、その人を助けてあげるようにする、でもいいでしょう。ボランティアや仕事として、そういう人たちのサポートをする、も、もちろん意義のあることです。また、手軽に活動するのであれば、そういった団体に対して寄付を行う、ということもあるでしょう。各人がやれる範囲でできることをすればいいでしょう。それでも、そういった人が増えれば、子どもを作りやすい社会になりそれが人口の増加にも寄与できるのではないか、と思った次第です。

結論として、「結婚して子をなすべき」ということは、これはこれで必要な考え方でしょう。ただ、全ての人がそれをできるわけではなく、できない場合は、「子どもを持った人をサポートしその人がスムーズに子どもを育てることができるようにすること」、をする、ということも一つ意義のあることとなのかな、、という、問題提起をさせていただきました。これは一つの意見ですので、これをもとにいかに生きるべきか、ということを考えてみるのも一つ面白いことではないでしょうか。

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