「ただ」は魅惑的な響きがありますが、やっぱりお金を払ったほうがいい3つの理由

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世の中、何をするにつれ、お金がかかるものです。そうすると、時としてお金をかけずに物事をすませたくなります。それもある意味では仕方がないのでしょうが、それにはいくつかの弊害があるようです。今回はそんなことを考えてみます。

ただ、というのは、先方からの誘い水である可能性があります。ただに魅かれて会場にいってみると、その棚の後ろには売りつけられる商品が後ろに並んでいる、という可能性があるでしょう。棚に並んでいる商品自体に価値があれば、それを購入することは悪いことではないのですが、そうでなくてもつい買ってしまう、ということもあります。ただで商品が配られている、というときは先方のマーケティング活動を考える必要があります。とはいえ、これは正当な商業活動でもあるので、それほど問題ではないかもと。

次は、なんとなく上下関係ができてしまう。これは、上記の商業的活動ではなく、自分から頼んだ場合なんかがあるでしょう。結局、対価がなくなにかしらのものをもらってしまうと、先方に対する負い目みたいなものができてしまうでしょう。そうすると、なにがかしかの負担感、ということを感じることがあります。質的に気に入らなくても、「ただでやってもらったことだし。。。」となかなか強く言えなかったりもします。「ノー」とハイいいにくい、なんてこともあるかもしれません。

それと情報管理もあります。ただでやってもらう、というのは、職業的専門家としての行為ではなく、単なる好意に基づいたものです。そこには、顧客管理や守秘義務という考え方は存在しにくくなってしまいます。平たく言えば、ただでやってくれた人、はお願いしたことについて、ペラペラと周りの人にしゃべってしまう、ということがあります。逆に、職業的専門家であればそういったことは通常ありえないので、知られたくないことは、お金を使って解決を図ったほうがよさそうです。

ということで、ただ、お金はかからない、といえば、かからないのですが、いいことばかりでもありません。そういったことをふまえて、ここはただですます、ここはお金を払う、という判断をひとつづつしていく、ということが快適な生活を送るうえで必要になってきます。

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