人間関係は信じることと、疑うことのバランスが崩れるところから始まる、そんな世界で生きていくためには

人を信じること、疑うこと、それぞれに極端に触れてしまうことありますよね。バランスを取ることは結構大変です。人の心はどうしてもそのどちらか一方に偏りがちです。今回はそんなことをば。

ですが、信じ過ぎてしまうことも、疑いすぎることも、同じくらいマイナスがあります。たとえば、信じ過ぎて大金を渡したら詐欺師でドロンされた、信じていた経理の人が横領していた、というように信じることの弊害はあります。逆に、愛する恋人の言うことを信じられず、GPSをつけて居場所を特定したり、報告を求め過ぎて束縛感が強くなり、恋人が自分から離れてしまった、ということもあるでしょう。いずれも、信じることと疑うことのバランスが崩れると起こることです。

一言で言うとバランスですが、それが難しい。わかりやすい基準として、関係を持ってからの年月があって、付き合う年月が長くなればなるほど、信頼の方に寄せてもいいかと思います。とはいえ、長くても裏切られる時は裏切られるわけで、その時の見極めが必要でしょう。特に相手の立場や状況が異なれば、自分に対する感情や行動も変わってきます。そういった業務や私生活上の変動があれば、その時は少し信頼と疑いのレベルを変えることも必要かもしれません。

信じるための基準は持っておくといいでしょう。先にあげた、年月はそういうことです。あとは、信用できる人の紹介ということもありますよね。それと、組織体。たとえば、役所とか、銀行とか、そういった公的な機関に近いものの言うことは信用できるかも。そういった、基準をいくつか持って、当てはめると信頼関係につながる、と言うこともあるでしょうよ。とはいえ、基準がいつでも正しいわけではないので、どこかの時点ではエイっ、となるのでしょうけれども。

人を信じる、と言うことは、どこかしら、自分の生死を相手に渡す、ようなところはあり、怖いと言えば、怖いです。ですが、怖くても信じないと先に進まない時もある。逆に、どんなに信じたくても、足を止めないといけないと言うこともあるでしょう。その時は、ある意味、賭けというか、そういったことも必要かもしれない。もちろん、えいや、の前に、調べるだけ調べ、考えるだけ考える、ということも必要です。

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