やらされ感でやっても成果は小さい

なにか人に言われて、しぶしぶ対応する、ということはあるかと思います。ですが、こういったしぶしぶ対応というのは、実はあまりいいものではありません。これは、「やらされ感を持ちながらやる」ことはあたかもブレーキを踏みながらアクセルを踏む、というようなところがあるかと思います。

やらされ感をもってものごとにあたる、というのは、あまり大きな成果を生みません。最近はわかりませんが、ひと昔前だと、両親が子供に対して「ちゃんと勉強しなさい。」と説諭する、ということもあったでしょう。時には塾に行かせたり、家庭教師をつけたりすることもあることでしょう。ですが、なかなか成績が伸びず、悩むということがあるでしょう。

この根底にあるのが、やらされ感によってやっているから、ということになります。やらされ感でやっても本人が心から勉強する必要を感じていない限り、集中して勉強することが難しい、ということもあります。塾にいっても、つい、身が入らなくなってしまい上の空、ということもあるのではないでしょうか。そうすると、かけた時間に比べると成果があがらない(歩留まりが悪くなってしまう)、ということになってしまいます。

逆に、自分が自らの興味、もしくは、関心があるテーマだったら、相当熱中できるので、成果はあがります。小さい頃ゲームに熱中したことがある人だったら経験あると思いますが、ゲームに熱中しているとどんどん時間がたっていくし、みるみるうちに上達したりしますよね。基本、自分が「こうだ。」と思うことがいいでしょう。

とはいえ、「~しろ。」と言われることもありますよね。そんな時どうするか。まず、作業的なことだったら、すぐ手を付けてぱっぱとすませてしまう。家事なんかだと、分担上やらざるをえない、ということもあります。そういう時は、さっさと片づけてしまう。この場合、「やれ!」と言われてからだとやる気がなえるので先手を打ってやってしまう、ほうが気持ちいいですよね。

あとは、自分事に置き換える。勉強することの意義や目的を見つけたら、勉強しろ!という人がいても、それはそれとして、自分のために頑張れると思います。とはいえ、全てのことを自分のことに置き換えるのも難しかったりするので。

まとめると、ちょっとしたことは、ぱっぱとやって、大きなテーマは自分の心に沿ったものにする、ということでしょうか。ちょっとしたことをやってあげるのは人間関係を円滑するために必要なので、そこはそこで対応して、自分にとって大切なことについては、自分を貫くということのほうがいいかとは思います。

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