価値観のズレは関係の終わりであり始まりでもある

価値観のズレ、時として人間関係に破綻をもたらします。浅い関係や、もしくは利害で結びついているような関係であれば必ずしも、そうとはなりませんが、深い関係を志向する場合はそうなりうるでしょう。今回はそんなことをば。

一番わかりやすいのが、やっぱり恋愛関係です。あとは、もう少し緩めな友人関係でも価値観の異なり、というものは、人間関係の破綻をもたらします。

例えば、コロナワクチンの接種、ということを考えてみましょう。もちろん、コロナワクチンの有効性や副反応を考えれば、打つべきか、それとも打たざるべき、真の意味ではんじ難い面はあるでしょう。歴史が教えてくれるのですが、時間が経っていない状況だと判断材料はなくどうするか難しい。ですが、ワクチンを打つべき、と考えている人と、ワクチンを打つべきではない、と考えている人の人間関係は時として崩れやすい。やっぱり、人生の岐路に立った時に、右にいくか左に行くか、同じ方向を選ぶ人と深い関係を構築したい、と思うからです。

ですが、価値観のぶつかり合いがお互いの関係性を深める、ということがあります。その一つとしては、妥協ということがあります。それとともに、価値観をぶつけることにより、それぞれが持つ価値観を変容したり、昇華させたりすることがあるからです。

ワクチンの例で言えば、どちらかの言い分に納得し(納得できずとも)自分も接種する(もしくは拒否する)ということはあるでしょう。もしくは、もっと別の解決策を見出すかもしれません。お互いが関係性を維持しようとして、ですが、納得いくように価値観を変容することにより、新しい価値観を持てるということがあります。それは合わせることかもしれないですし、中間点を探すことかもしれないですし、さらには新しい価値観を想像するかもしれません。特に、新しい価値観を創造できれば、お互いの関係性はより深まることでしょう。

基本的に価値観が相違があれば、とくに基本的な価値観にズレがあればあるほど、または、人間関係を深めようとすればするほどに、人間関係は破綻しやすくなります。ですが、お互いに人間関係の維持、深化を志向しつつ、価値観をすり合わせようとした時に新しい価値観を持つことができることになります。

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