言葉そのものに価値があるのか、それとも後ろにいる人に価値があるのか

Chat GPT等のAIが世の中を席巻しています。それに伴い、ふと、言葉というものの価値の付与のされ方、ということが気になるようになりました。言葉によっては、言葉そのもの、か、それを発している人か、のどちらに重きがあるのか変わってきます。今回はそんなことをば。

言葉そのものに価値がある、まあ、情報とか論理とか、アイデアとかそういうことですね。そこにある言葉から価値を受け取る、ということです。これこそが、AI、検索エンジンとかそういうものが活躍する場です。AIでアイデアを出す、文章を要約する、情報を探し出す、ということで、価値のある言葉を探したり、生成したりする、ということができます。

他方、後ろにいる人の言葉、というのは、主に感情や手触り感、といった、感覚的なことです。つまり、言葉を発している人が誰かで同じ言葉でも価値が変わってしまうということです。一番端的な例としては、「愛している」ということがあると思います。これが自分のパートナーや恋人から言われたら嬉しいですよね。逆に、ただの友人や自分にとってどうでもいい人からだと、嬉しいどころか気味が悪く感じます。このように、自分との特に人間関係によって、価値が変わってしまう言葉もあります。

人間関係により価値が変わってしまう、そういう言葉だと、AIとか、検索エンジンとかではダメで、やっぱり生身の人間から吐き出される必要があります。

あと、厄介なのは、両方の性質を求めることもある、ということです。言葉の内容と言っている人の両方ですね。わかりやすいのが、セミナーや人生論です。確かに、言っている内容が役にたつ、わかりやすい、ということは必要です。それとともに、話をしている人が、実績があればちゃんと聞く耳を持つのですが、実績を持たない人がしゃべると全く説得力がなくなってしまう、ということがあります。

ということで、言葉そのものに価値がある場合と、言葉そのものより発する人の影響の場合が大きいことのふたパターンあります。AIやシステムが得意とするのは、言葉そのものに価値がある場合ですので、それを踏まえてChat GPTを活用することが必要です。

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