このコロナ騒動から感じたこと125~コロナには民主主義より独裁のほうが向いているのでは

この文章は令和2年12月3日に書いています。日本全国、感染拡大が止まりません。本日の新規感染者数は日本全国で2501人。ちらほろと、医療崩壊、緊急事態宣言等々という言葉も聞こえてくるようになりました。他方では、イギリスでワクチンの接種が来週から開始、という希望的なことも聞かれるようになってきました。

感染症であれば、本来であれば、感染が拡大の兆候を見せた段階で全力で火を消し止めてしまうのがいいはず。そうすることにより、短時間で感染の拡大をおさえ、それ以上の蔓延を防ぐことができます。

しかし、日本の政府や地方公共団体の対応はどちらかというと、初期の段階は、「攻めのPCR検査」だとか、「経済を回す」といって、静観モードに入っていて、感染者が増え割と蔓延が深刻になりはじめてから、やれ、時短営業だ、協力金だ、往来自粛だ、Go To停止だとあたふたし始めるような気がしています。

おそらく、こうなってしまうのは、有権者の顔色を見すぎているからな気がします。感染が大きくないうちに経済活動に制限をかけるのは反対も多く、次の選挙等々を考えるとなかなかできないようです。ただ、結局、感染が蔓延すると、消費者心理も冷え込んでしまい、Go Toだ、なんだといっても経済活動に悪化を与えるので、初期にがつんとやるのはむしろ経済にとってもプラスだと思います。

その他、感染者の行動歴を追うのもおそらく今は完全には把握できないはず。行動歴の調査は強制ではないので、隠してしまう人もいるはず。また、クラスターを発生した店には感染予防を徹底していないところもあったようですが、日本の法律だと休業要請や営業停止処分にはできず、結局、それも感染拡大の大きな要因となっているはず。

おそらく、独裁的な国家であれば、多少の反対などものともせず、即座に感染症対策を打てるはずですし、個々人に対する働きかけも強くできてしまうので、感染症を比較的速やかに抑えることができるはずです。情報が流れてこないので本当のことはわからないのですが、仮に、北朝鮮のほうが日本よりコロナの蔓延が少なかったとしてもそれはそれで納得感のある状況だとは思います。

ということで、独裁国家、意外と感染症には強いようです。民主主義国家であっても、感染症が起こった場合には、もう少し独裁的な政策を打ってもいいのかな、と思う今日この頃です。

未分類