このコロナ騒動から感じたこと㉗~バベルの塔とナウシカと

この文章は令和2年4月10日に書いています。すでに、時の政府から緊急事態宣言が出され、市民は外出を自粛している状態です。にもかかわらず、コロナ感染者の増加の勢いは止まりません。長野でもじわりと感染者が増加しており、恐怖を感じます。

このコロナ騒動で思い出した話が2つあります。

ひとつはバベルの塔。旧約聖書にある、人々が天に近づくような塔を建てたお話です。この塔が「人間は傲慢である」という神の怒りを買い、塔を稲妻で崩すとともに、それまでは同じ言葉を話す人々にそれぞれ別の言葉を与え、結束できないようにした、そんな話だったと思います。

このコロナ、きっと、バベルの塔の神の怒りに見えます。天から見れば人間が思いあがっていたのかもしれません。人間は、グローバリゼーションにより、世界にもの、金、人が縦横無尽に動き、科学技術により自然を思う存分破壊してきました。それが、コロナが出てから、世界中が、いや、地域の単位ごとに接触が禁じられ分断しました。それに、コロナにより、人間は家にこもり自然を壊すことを止めた。というところが、バベルの塔に感じました。

もう一つが風の谷のナウシカ。この話の腐海との共存。腐海は吸うと即死するような猛毒のガス(瘴気)を発し、ばかでかい蟲たちがその中を跋扈跳梁しています。腐海は徐々に広がりを見せ、その時の人間にはそれをおさえることができません。結局、人間は腐海と共存し、生活していく、というのが、この物語のお話です。

この共存、というのが、結局、コロナとの付き合い方になるのでは。このウイルス、感染力が非常に高く、かつ、明確な治療法が存在しません。予防法は、人と人が接さないことですが、それは人間の経済や社会的な生活とは矛盾するのでなかなか困難。今はピークアウトといって、感染の速度を緩めるくらいしか対応がない。結局、人類にはうまくこのウイルスと長い期間にわたり共存していくことになりそうです。

というわけで、今回は、コロナから連想される2つのお話を紹介し、考察しました。他にも同じように例えられこと、あるかも、、ですね。

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