このコロナ騒動から感じること①~楽観と悲観と狭間で

2020年1月頃から新型コロナ肺炎が猛威を振るっています。そして、2月末には日本にも流行の兆しが見え始めています。その時の現場の証人として、世相から感じたことを綴ってみようと思います。

本論に入る前に言い訳から。この文章は、誰かを糾弾することを企図してはいません。もし、そう感じたらぼくの文章力の問題で、自分自身は誰かを非難したり攻撃したりするつもりはないです。また、これは、あくまでもぼくが感じた心情であり、科学的な裏付けは一切ないことをご了承ください。 今後、心が折れるようなとが起こったら、書けなくなるかもしれませんが、それまでは書いてみようと思います。

1番最初に書こうと思うのが、感情と行動のコントロールが難しいことです。「怖い」という気持ちと「たいしたことないよ」という気持ちが入り混じっています。

「怖い」のは、おそらく感染力の強さと死へのイメージ。治療法がないこと。「死」ではなく、「死へのイメージ」と書いたのは、死に至る要因はコロナ肺炎だけではないが、報道やSNSによって、強く、「死」を感じさせるから「死へのイメージ」としました。

特に自分ではなく、身近にいる人のことが気になります。自分のことは案外気にならない。これは、後述するように 「人は自分だけは死なないと思っている。」 理論が働いているから。ただ、身近にいる人についてはなかなかそういうこともできず、心配になりその人の行動を気にしたり、自分も感染しないよう、行動を制限してしまいます。

あとは、「死」まで行かなくても、事業や仕事に与える影響、個人の評判や差別といったことも「怖い」ですよね。ひとたびかかれば、自分の業務だけではなく、組織全体の業務に大きく影響を与えることになってしまいます。

「大した事ない」は、そうはいっても身近ではないから。このブログを書いている時点においては、ぼくの知り合いで罹患した人はいないです。地区では、いるらしいですが。

あとは、必ずしも重症化するとは限らず、特に症状が出ないこともある。基礎疾患がなければ、風邪のようなもので、家で寝ていればだいたいにおいて直るよ、といわれることもあります。なら、そんなに怖がらなくてもいいかなという気もしたりしています。

それと、人間の心情として、「人は自分だけは死なないと思っている。」という心理規制はあると思います。根拠はどこにもないけど、「まあ、大丈夫だよ。」。くさいものにふた、嫌なことは考えないでいてしまう心理ですね。

これだけ大きな事象になると悲観的な情報、意見、楽観的な情報、意見、がニュースやSNSに流れます。メディアは悲観説が多いです。それを批判する人もいますが、楽観説にたって情報を流すことには怖い面があるので、致し方が無いと思います。そうやって、情報に触れるたびに自分の考えや感情がグルグルと影響を受けてしまい、楽観と悲観に心が揺れてしまう、という結構辛い状態にあります。

おそらく、一つとしては、自分としての判断軸、リスク管理方針をもって、それに従い粛々と行動していければ、もう少し楽になるのかな。あとは、状況が許せば山にこもって、情報を制限し、世間から離れて状況が落ち着くのを待つ、というのもあるかと思います。状況が許す人、なかなか、多くはないと思いますが。

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