このコロナ騒動から感じること②~日本人の仕事観

今回もコロナ騒動について感じたことを書きます。普段は少し教訓風に書くのですが、今回はあえてそれをやめて、自分が思ったことを書いてみます。今回はこの騒動から現れた日本人の仕事観を考えてみます。

本論に入る前に言い訳から。この文章は、誰かを糾弾することを企図してはいません。もし、そう感じたらぼくの文章力の問題で、自分自身は誰かを非難したり攻撃したりするつもりはないです。また、これは、あくまでもぼくが感じた心情であり、科学的な裏付けは一切ないことをご了承ください。 今後、心が折れるようなとが起こったら、書けなくなるかもしれませんが、それまでは書いてみようと思います。

本論ですが、日本人にとって、仕事は神聖なるものというとらえ方なのかなと。つまり、コロナ禍があっても、じゃあ、直接的に「仕事をやめてください」、「業務を停止してください」という、論調はあまりおこっておらず、むしろ、仕事なら仕方ない、という価値観は根底にあると思います。

例えば、学校を休校します、確定申告の期限を延期します、イベントを見合わせてください、テレワークしてください、時差出勤してください、体調が悪い人は出社を見合わせてください、等々いくつかの施策がありました。ですが、工場の操業を止めてください、食堂の営業をやめてください、電車動かしません、ということはなかった、と感じています。

中国は、コロナ禍のときに、春節を延期しました。ということは、会社が休暇であることを延期しました。日本の場合は、業務そのものを止めるということはないようです。

あと、学校を休校にします、というときでも、「働くお母さんは、どうやって子供の面倒を見るのだ!」という声はありますが、「じゃあ、この際、仕事もやすんじゃおうか。」という議論にはあまりなっていないような気もする。少しはそういう議論があっても、いいんじゃないかな~、という気はしています。

それと、よく聞かれる、「不要不急な外出は控えましょう。」とある、その要不要はどう定義されているのか、その後ろには、仕事は必要、プライベートは不要、という考え方がこっそり横たわっていると思います。なので、飲み会、イベント、レジャー、外食、スポーツが「不要」のカテゴリーに入り、その結果、キャンセルが相次ぎ、そういった業界に属する人たちが悲鳴を上げていることになります。

もちろん、会社が止まったら経済活動が止まり必要な物資やサービスの提供が止まってしまうことの恐れもあるでしょう。また、会社が活動をやめたときの、会社vs従業員の損失負担という問題もでてきます。特に自営業者や時給で働いている人は収入に直結するため、生活にも悪影響がでてしまいます。ただ、そのほかに、日本人にとって、仕事は犯すべきでない、神聖なものである、という信念があるような気がしています。

じゃあ、その善悪はというと判じるのは難しい。この仕事を神聖ととらえることは、日本人の個性であり、それがかつての経済成長の原動力となったといえるでしょう。ぼく自身も仕事を第一に思う気持ちは常に持っています。ですが、そこで切り捨てられてしまうものの中でも大切なものもあるし、そこをある程度は拾い上げて行きたい、、と考えています。

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