「夜と霧」から学ぶ、未来と過去、そして人生の意味のとらえ方

最近、機会があって読んでみた、「夜と霧」。非常に感動的な話で、全編、心に残ることばかりです。そんな中、今回は、未来、過去、そして、人生の意味のとらえ方について書いているのでそれをとりあげてみます。

「夜と霧」(新版:みすず書房、池田香代子訳)は、精神科医であるV・E・フランクルが自身の収容所での体験を書いた本です。時は第二次世界大戦下、ユダヤ人であるフランクルはオーストリアにて、ナチスドイツにより収容所に送られてしまいます。収容所内での悲惨な生活と、そんな中における精神状態を克明に記録しています。

さて、「医師魂を教導する」(137ページ~140ページ)の中で、未来と過去、そして人が生きる意味、ということを書いています。

まず、未来については、「未来については誰もわからないし、(中略)、個人のレベルでは大きなチャンスは前触れもなくやってくる。」と書いています。つまり、どんな酷い状況でも好転する可能性があるので希望をもって未来を見る、ということを解いています。

他方、過去については、「わたしたちが過去の充実した生活のなか、豊かな経験のなかで実現し、心の宝物としていることは、なにもだれも奪えないのだ。」。ここでは、過去が自分の人生を支える恩恵について書いています。

人生の意味については、「人間が生きることには、つねに、どんな状況でも、意味がある。」としています。生きる意味についての省察は「それでも人生にイエスという」にて論じられています。

このような考え方を、収容所というある意味絶望しかない空間にてこのような考えを持ちえた、ということは非常に驚くべきだと思います。いや、このように考えたからこそ、収容所の過酷な生活に耐えれた、ともいえるかもしれませんが。

ひるがえって、現代、われわれは、どのように過去、未来、そして人生の意味をとらえているでしょう。否定的にとらえていませんか?

ともすれば、未来についていえば、なにか災厄が起こるかもしれない、世間や自分の周りが悪化するかもしれないという不安におびえている、ということありませんか。過去であれば、しでかししてしまった失敗を悔んだり、すでにおこった不幸を嘆いたりすること結構ありがちです。また、時として、日常生活の雑多なことに追われ人生の意味を見失いがちです。

もちろん、否定的な考えは悪いことばかりではなく、時として不安に対する備えになったり、過去から教訓を引き出せる、ということもあるでしょう。ですが、肯定的に未来、過去、そして人生の意味をとらえられるようになれば、それだけで自分の人生が豊かになっているのでは、と考える次第です。

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