義務教育にて勉強することは、目標に向かって努力を積み重ねること、そこにおける意義と課題


なんのために勉強するの?、なぜ学校に行かなくてはならないの?という疑問、一回は直面したことがあるかと思います。そんな意義とそこに潜む問題点、ということを考えてみます。

学校で勉強することの意義、なかなか、明確に答えることができる人、いないと思います。小学生、中学生の頃に学ぶ、国語/算数/理科/社会、、、こんなん将来使わないよ、とか、思ったことのある人、結構、いらっしゃるかと思います。

ここで、一つ意義があるとすれば、それは、「目標に向かって努力を積み重ねること」の訓練となること、が挙げられるでしょう。つまり、テストでいい点を取る、世間一般でいい学校とされるところに入る、ということは、一つ、むずかしい目標となります。当然に、この目標を達成するために努力を積み重ねることが必要でしょう。寝るまも惜しんで勉強したり、塾に行ったり、長期休暇中も勉強したり…。このようになにがしかの目標に対して、それに向かって努力することの練習となる、それはその後の人生を生きるにあたって大きくプラスとなるはずです。

とはいえ、ここには一つ落とし穴があります。そう、目標を自分で設定する、ということがここでは抜け落ちてしまいます。つまり、ここでは、目標は学校や社会から与えられてしまいます。自分で色々と考え、進むべき目標を設定するという訓練はどこでもなされないわけです。そうした場合、いい学校に入った時点で、目標を達成してしまいます。そうした後、その後の目標を描けず、そこに頓挫してしまう、とか、燃え尽きてしまう、ということになってしまう、こともあります。

これは、従前の日本の社会構造として、与えられた目標に向かって走る、ことを、一兵卒としての役割を求めたことにその背景があるかと思います。特に高度成長期なんかは、そんなところもあるかと思います。ですが、今は、少しずつそういったことも変わってきており、目標を作り出す力、というのも求められるようになってきました。

これを、社会的に解決しようとしたのがゆとり教育なのでは。もともと、ゆとり教育は、テスト勉強等詰め込み型の勉強の量を減らし、考えることを多くしよう、という取り組みだったかと思います。私自身は理念としては素晴らしいものだったと思います。ただ、高校大学の入試制度は変わらない、社会の評価制度(つまりいい大学に入った人が優秀な人である)も変わらない、のであれば、小学校、中学校の教育制度だけ変えるのは意味がなく、結局、もうかったのは塾だけだった、という少々残念な結論となったりもしました。

結局、「目標を設定すること。」と、「目標に向かって努力を積み重ねること」この二つを車の両輪のように動かすことにより、人生は前に進むことになるでしょう。学校教育により、後者の方は身につくので、そこには一定の意義があるでしょう。しかし、前者を身に着ける機会は少ないので、自分自身で習得することが必要かもしれません。

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