もう、世間的な「幸せの枠組み」で自分も人も裁くのはやめませんか?


世間的にいう、「こういうふうに生きるべきだ。」とか、「こうなると幸せになれる。」という幸せの枠組み、みたいなものがありますよね。ここでは、そういったものにどう付き合うべきか、ということを考えてみました。

「幸せの枠組み」というのは、どうなると「幸せ」になれるか、という、定義というか考えかたみたいなものを想定しています。世間的な幸せの枠組み、たくさんあります。典型的なものは、「いい学校に出ていい会社に勤めていい人と結婚していい家庭を作るのが幸せである。」そのアンチテーゼでもある、「やりたいことをやるのが幸せである。」などがあります。

で、こういった枠組みができてしまう理由、背景、というところですが、まずは社会としてありたい方向に個人や家庭を誘導する手段になる、ということです。個人がそう行動することにより、社会として目指す方向にもっていくと。もう一つは、枠組みがあると、自分で考えないでいいから、楽、ということもあるでしょう。枠組みがあればそれに沿って生きることもできるし、それをもって子供なり生徒のなりの人生の方向付けをすることができます。この枠組みを自分で作るのは、結構大変なのですよ。という理由で、時代背景により「幸せの枠組み」というものが出てきます。

ですが、「幸せの枠組み」の問題として、そこからこぼれ落ちた人に対して厳しく冷たい、ということがあります。それは、自分が生きたい人生が枠組みにはまらない、とか、能力的に枠組みから落ちてしまう、ということもあったとき、自分も辛いし、社会も枠組みから離れた人に対して、枠組みに戻そうと色々と働きかけています。そういったことが、枠組みから外れてしまった人が生きづらくなる要因ともいえましょう。

もう一つの問題として、「世間的な幸せの枠組み」の中にいることがその人にとって幸せか、ということはあるでしょう。いい学校にでていい会社に勤めて結婚して家庭を作って、、、それで幸せな人を感じる人もいるけど、そうでない人もいるでしょう。むしろ、無理に枠組みの中にいるより、枠から離れてしまったほうが個人として幸せを感じれる、ということもあるでしょう。

結論としては、「世間の幸せの枠組み」、少し、懐疑的に見てみませんか?できれば、自分としての「幸せの枠組み」見つけて、それに沿って自分の人生をデザインしたいものです。少なくとも、いわゆる、「世間的な幸せの枠組み」をもって、自分の人生を嘆いたり、他人の人生を断罪するのはやめたいものです。

そうそう、とはいえ、自分だけが幸せならいい、というのもおかしいので、周囲や社会との調和やバランスといったものは考えてから枠組みを作るべきでしょう。

 

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