自分の中の幸せの定義を再構築しよう!

幸せになりたい、これは誰しも持っている普遍的な願いかと思います。ですが、自分にとっての幸せ、明確な定義を持っていない人、多いのではないでしょうか?今回はそんなことをば。

自分にとって、なにが幸せなのか、明確な定義を持っていないとどうなるか?そうすると、無意識的に社会や周囲の人が持っている幸せの定義を持つようになってしまいます。

例えば、昭和の時代における幸せの定義はこんな感じ。「いい大学に出て、いい会社に就職し、いい人と結婚して、子供を作り、平穏な老後を過ごす。」。令和になり、かなり変わりつつあるも、根強く残っている考え方でしょう。

この価値観を持つこと自体は問題がないと考えています。それを自分自身が納得し、自分自身もこの定義に向かって足を進めていくことが、個人的な成長をもたらし、機嫌よく過ごせる限りにおいて。

問題になってくるのは、無意識的、半意識的に自分を縛ってしまい、否定することにつながってしまうこと。上の定義ってさらっと書いてありますが、達成するためにはハードルがたくさんあり、これを全うできる人は結構少ない、、と思います。

最初から行くと、まず、勉強が苦手な人にとっては世間的にいいといわれる大学に行くのは難しい。そして、いい会社だと思って就職したらブラック企業だったりなくなったりリストラされたりということもあるかもしれない。もちろん、結婚はめぐりあわせだし、結婚しても不幸な結婚生活で離婚ということもあるでしょう。子供だって、望めばできる、というわけではなく、望んでもできない人も多い。また、近年は年をとっても色々な課題があり必ずしも平穏な老後を送れるとは限らない、等々。

その価値観を持っている以上、それが達成できない=不幸となってしまいます。それを防ぐには、自分にとって最適な幸福の定義をもっておき、それをもって自分の状況を判断する。そうすれば、一方的に自分を不幸と決めつけて、憂鬱な気分になることを防ぐことができます。

もう一つ、気を付けたいのは、幸せの定義はあくまでも自分のためのものであり、人を裁くためのものではない、ということ。

「~~だからかわいそう。」「努力して~~すべき。」と、幸せの定義に外れた人に対してそういう言動をしがちです。ですが、それをして楽しい気分になれる人は誰もいないと思います。

これは、自分自身で幸せの定義を作った人より、世間一般で言われている幸せの定義を持っている人に多い傾向があるかと思います。

なので、自分なりの幸せの定義を作り、かつ、それをもって人を裁かないということが必要になると思います。でも、最初から幸せの定義をかっちり持てる人も少ないか、と思います。

なので、最初は周囲や世間の持っている幸せの定義を利用しつつ、自分の人生の進捗や向き不向きをふまえつつ幸せの定義を徐々に修正していく、ということがいいのでは。

と、書きながら、自分も自分自身の幸せの定義を明確に言語化できていない、ので、少し言語化してみたいとは思っているところです。

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