「正しいこと」を言っているにもかかわらず、相手が納得していないような表情をしている時には

正しいことをいっても、相手がなんだか納得していないような表情を浮かべているとき、てありませんか。「俺は正しいことを言っているのになぜ納得しないのだろう。」と、いらっと、感じてしまうときもあるでしょう。

自分では「正しいこと」を言っているのに相手は納得しない、例えばこんな局面。

おばあさんが電車の中で立っています。足が悪いのでしょうか、結構、辛そうにたっています。その目の前に座っている人は、20歳くらいの男性で体力はありそうです。ですが、わざとかそれとも気付かずにか、スマートフォンの画面にくぎ付けで目の前のおばあさんに気付く様子はありません。あなたはおばあさんの隣にたっており、おばあさんの辛そうな顔が気になっております。

そして、つい、

「おまえはなにをやっているのだ。お年寄りには席を譲りなさい。」

といってしまいます。そうすると、その若者はむっとした表情であなたのことを睨み付けました(中略)。

あなたは「正しい」ことを言っており、若者は「正しくないこと」をしています。にもかかわらず、若者はそれに対して、感情的に納得できていないようです。

「正しいこと」をいうことは、時として人を傷つけることがある、ということです。もう少し、抽象的な言葉でいうと、正義を振りかざすことにより、相手を傷つけている、ということです。

すなわち、人は、いつでもかんでも、正しいふるまいをしているとは限りません。そういったときに、自分の落ち度をつかれると、「うっ、」となってしまうことがあります。また、人によってはすぐに「正しいこと」を行うことができない場合もあり、そういう時に指摘されると困ってしまう、ということもあるでしょう。また、人の傾向として「正しいことをしている/言っている。」と思うと、されている相手方の気持ちを考えない、ということもあるでしょう。そうすると、言われたほうは、ますます面白くない感情を抱えることになります。

どうすべきか、というところですが、まずは、本当にそれをする必要があるか、ということです。時として、見逃す、という判断もあるかもしれません。見逃すことができるのであれば、それも一つの選択肢でしょう。

もう一つは、言い方、伝え方を工夫する。どうしもて、言わなければならないこと、しなければならないこと、ありますよね。そうした時に、いかに痛みを感じないように伝えるか、ということを考えることは大切です。理想は、斬られたことに気付かれていないが実際はばっさり斬っているところ。ここまでくると名人芸ですが、この水準を目指すということは大切でしょう。

とは、勇気を持って正しいことを言う、というのはとても大切なことです。折角、正しいことをいうのであれば、言われたほうの感情を考え、より快く伝わるようにしたい。とはいえ、「正しいこと」を言っている時は、つい、相手の気持ちを考えずに言ってしまうものです。自戒を込めて書いているところではあります。

 

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