課題先進国日本、という言葉がもたらす福音

日本では、社会課題というべき問題が山積しています。少子高齢化、政府債務の増加、年金問題、貧富の差の拡大、環境問題、空き家問題、等等。まだまだ、あるのですが、これだけ並べられると、「もう、日本はだめだ」、とか絶望してしまいそうです。ですが、見方を変えれば必ずしもそうとは限らない、ということです。

最近、聞いた言葉で印象的なのが、「課題先進国日本」ということです。様々な社会課題があるのですが、それを「先進」と捉えるところが前向きだと思います。この言葉の含意として、他の国より先に多くの社会課題を先んじて抱えており、それをうまく解決することができれば、それを持って他の国をリードすることができる、ということです。

社会課題はマイナスである。確かにそうですが、そこにビジネスのタネが眠っているという見方もできます。一般にビジネスは、快を与えてお金をもらうか、不快を取り除いてお金をもらうか、、どちらかだ、、と言われています。ここで、社会課題、というある種の不快を取り除くことができれば、それは立派なビジネスとなります。そこをビジネスとして、安定的に利益を得て継続的にその課題を解決、もしくは改善することができれば、社会的にも意義のある行為といえるでしょう。

社会課題に苦しむ人は、そこにお金を出せないのではないか、、ということもあるかもしれません。持っているお金と社会課題は完全には一致しないので、そこからお金をいただくことは可能な場合もあります。また、行政とか、他にその課題に取り組んでいる組織からお金をいただくこともできるでしょう。あと、今まで難しい、とされてきたことでも、社会制度の変化やテクノロジーの発展により可能な範囲も増えてきているかと存じます。

ということで、課題が山積する、ということに嘆くのではなく、むしろ、そこに商機を見出すことができれば、そこには正の循環が生まれ、より良い方向に社会が向かっていくのではないか、、とそう考えているわけです。

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