「そういうものだよ。」と言ってしまうと思考停止が始まる

「そういうものだよ。」ということで話が終わってしまうことありませんか。例えば、「仕事ってそういうものだよ。」、「この業界はそういうものだよ。」、「人生ってそういうものだよ。」。この、「そういうものだよ。」という言葉から引き起こされるものについて考えてみました。

「そういうもの。」というと、それから思考が先に進まなくなってしまいませんか?例えば、新しく業界に入ったばかりで、どうも業界の在り方について納得ができないこと、あったりします。そこで、先輩に「この業界は、こういったところがおかしくないですか。」というように聞くと、「いやー、この業界はそういうものだよ。文句言っても仕方ないよ。」といって、新人が「そっかー。」とそのことに納得してしてしまう。そうすると、結局、業界に属する人は、「そういうものだ。」というところでとまってしまい、それを改善する、ということはなくなってしまいます。

逆に、理想に燃えて、あるべき論を唱えたほうがいいのか。もちろん、そのほうがいい場合もあります。理想を高く掲げて、変革者としての意気込みとともに、周囲を巻き込んでいく。とはいえ、現実はそうである以上、あるべき論を唱えると、煙たがられたり、周囲と軋轢が生じてしまい、うまくいかない、ということもあります。その結果、「あいつは正論ばかり唱えやがって。」といわれるようになり、人間関係上、マイナスが生じてしまいます。

では、どうすべきか?今の自分の答えとしては、「現実と折り合いつつも理想は忘れない。」というところです。時として、現実的に周囲の人の「そういうものだよね。」につきあい、それを尊重することも大切となります。でも、その一方で、理想状態、ということを念頭におき、そこに現実を近づけていくように努力する。そのことにより、実際に現実が理想に近づいていくのでは、と考えてます。つまり、理想に向かって努力を重ねることにより、よりいい仕事、よりよい人生、よりよい社会に近づいていく、と信じているところです。まあ、いうほうど簡単なことではないですけどねー。

ちなみに、ずっと同じところにいると、「そういうもんだよねー。」に支配されやすくなります。それを回避するためには、時折、自分の立ち位置を変える、または外部の第三者のいうことに耳を傾ける、新しく入ってきて業界や地域の考えに染まってない人の意見を尊重する、ということがあろうかともいます。

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