このコロナ騒動から感じること③~この先にある明るい未来を信じたい

この文章は令和2年3月1日に書いています。コロナウイルス、今になっても、その拡散はとまりません。健常者なら、風邪様の症状がでるだけで、基本的に大丈夫、といってもやはり不安なものです。そのことにより、いい未来があれば、という祈りをもって書いてみます。

コロナ禍、確かに日本のいや世界の社会状況において大きな打撃を与えています。

直接的には、感染して自由を奪われる人、発病し病床に臥せる人、そしてついには死亡する人、がいます。それとともに、感染により社会の動きが著しく停滞することにより、経済的、文化的活動に制約をうけ、多くの人が、辛く残念な想いをしている、そんな状況です。

ですが、そんな中こそ、同時にそれがもたらす明るい未来を信じたい、そう思います。

例えれば、古代中国では黄河が氾濫し、エジプトではナイル川が氾濫する、ということもあったようです。その際は、その場所住む人々や集落に多大な被害を与えました。ですが、そこにもたらされた肥沃な沃土により、その将来は作物の収穫が増え、豊かな社会を導く契機になった、と言われています。

同じことが、今回のコロナ禍でなにがもたらされるかはわかりません。もしかしたら、多くの人が発病し命を落とすこともあるかもしれません。また、リーマンショック級、もしくはそれ以上の経済的なショックもあるかもしれません。

ですが、その先には既存の社会では、達成できなかった、社会的な進歩や個々人の幸福を増加させるようなこと、きっと、あるのでは、と思っています。なので、それを期待しつつ、目の前のコロナ禍に対応できるよう、万全を尽くしていければと考えています。

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