「何を言うか」ではなく、「誰が言うか」、そのメカニズム、合理性と落とし穴

よく、コンサルやメディアの世界では、「何を言うか」ではなく、「誰が言うか」ということが大切だ、と言われています。これは、「誰が言っているか」というところ、つまり話し手の権威や正当性により受け入れやすさが変わってくる、ということです。例えば、大前研一さんと僕が同じことを言ったとしても、やっぱり、大前さんの言っていることのほうが受け入れられやすい、ということです。

なので、コンサルとかだと、いかに自分の権威が正当性を担保するかが一つ大切なコツになってきます。それと、もう一点、セミナーなんかで、講師のプロフィールを紹介するのも、講師の正当性を主張し、講演の内容が受け入れやすくする、ということが一つあるでしょう。

このメカニズム、人間の意思決定や判断の省力化、効率化、というところにあります。「なにを言っているか。」の主張についてその正しさを立証しようとすると非常に労力がかかります。ですが、「誰が言っているか。」という観点からその主張の正しさを立証しようとするのは非常に非常に簡単なのです。

例えば、「1年後には立ち飲み屋がブームとなる。」という主張を考えてみましょう。「なにを」という観点から立証するためには、立ち飲み屋の現在の状況、マーケットの変化、消費者のニーズの動向、立ち飲み屋の収益性の見込、等様々なことを調査しないといけません。この場合、将来のことなので、確証をもって断じることは難しい。一方、飲食業界の権威が「1年後に立ち飲み屋がブームになる。」といった場合、権威に着目し、そのことを正しい、と判断するのは容易ですよね。実際、自分が汗水たらして色々と考えた結果より、飲食業界の権威の言うことが正しい、ということも結構おおかったりもしますし。

というわけで、実は、「何を言うか」ではなく、「誰が言うか」に着目して、その主張を判断することは効率的かつ一定の合理性があるわけです。

ところが、残念なことに、こういう傾向を悪用しよう、という人も出てくる。その典型が詐欺です。詐欺師というご職業の方は、ありとあらゆる手を使ってお客さん(つまり被害者)の信用を構築するように仕向け、心の扉をどんどん緩めてきます。そして、最終的に、顧客(被害者)が、「あ、この人の言うことなら信じても大丈夫だな。」と思わせることができたら仕事は終了です。金庫の扉が開いたようなものなので、後は、金庫に手を入れてその中のものを奪ってドロンするだけです。ここまでひどくなくても、自分が主張したいことを巧妙に権威づけて情報操作やポジショントークを行うこともあるでしょう。なので、「誰が言ったか」だけで、物事を判断すると痛い目に合う、という可能性もあります。

じゃあ、どうすればいいんだ、ということですが、物事の重要性によって、判断の方法を変えていく、ということでしょう。まあ、芸能界のゴシップのように自分の人生に関係のないことは、週刊誌等の雑誌情報を鵜呑みにしてもいいでしょう。それが間違っていたところで、自分の人生にはあまり影響ないですからね。逆に、一千万円の投資案件であれば、持ってきた人の言説を鵜呑みにするのではなく、スキームの妥当性、将来性等等について出来る限り詳細に種々の情報を入手したうえで判断することが必要になっていく。自分にとって重要なことにかかる事案については「何を」をベースに、どうでもいいことは「誰の」のみをベースにしていくということが望まれます。

その他の対策としては、情報源を複数持つ、情報源の信頼性や意図を検討する、反対意見にも耳を傾けてみる、ということが大切です。まあ、ネットでググっても、ある程度の情報は収集できるので、少なくともググるぐらいはしてみましょう。

結論として、「誰が言っているか」着目し、その主張の妥当性を評価する、ということは合理的かつ効率的です。しかし、そこを悪用する、ということもありうることなので、その落とし穴を感知しそこに陥らないように注意することが必要です。

 

 

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