学歴で人を量ることはできるのだけれども、それが唯一絶対的な尺度ではない

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学歴、明示的にも非明示的にも人を量るための尺度となります。一方では、「学歴で人を量るのは間違っている。」という人もいます。個人的には、学歴は人を量る尺度の一つではあるが、全てではない、と思います。今回はそんなことをば。

学歴が高さが表していることとして、なんらかの目標に向かって工夫や努力を積み重ねて、達成することができる、という能力があります。学歴が高い、つまり世間一般でいいといわれている大学に入りたい、と考える人はたくさんいるわけです。そんな中で、きちんと成果をあげる(つまりテストで高得点を獲得したり、内申点を確保したりする)ためには、効率的な勉強方法で勉強時間を積み上げていく必要があります。そういったところを着目して、学歴を人を評価するための尺度とするのは一定の合理性があります。

ただ、尺度としての学歴の高さ、というところにも問題があります。まずは、学んでいる内容が、将来の仕事や生活において役立つものなのか、というところは疑義のあるところです。確かに、理科、国語、数学、社会、英語、たしかに知っておくといいことなのでしょうけれども、大人になったところでそういった知識はあまり必要としない、という人も多いとは思います。大学で習ったこともどこまで仕事や生活に役立っているかは疑問を感じるところです(特に文系の場合)。

また、学歴は大学に入った時点で決まってしまうところが多く、大学時代における活動や成果は表さない、というところもあります。つまり、学生の時にすごい努力をして色々な活動をした人であっても、もしくは、遊びに遊び怠惰な生活だけを積み上げた人でも、学歴という尺度では、同じように評価される、ということもあるでしょう。

また、目標設定そのものは試験勉強からは身につきにくい、という面もあります。つまり、ゴールはあらかじめ与えられていて、そこに向かって歩いていく、ような感じでしょうか。志望校も、自分の成績や偏差値を見て、そこから決めていったりすることが多いです。そのため、そもそもの方向決め、という能力は試験勉強からは身につかない、というところはあります。

最も問題なのは、試験勉強の出来不出来、得意不得意にのみによって評価が決まってしまう、ということがあります。試験や勉強が得意な人であれば、問題はありません。ただ、世の中には試験や勉強がどうしても苦手な人、というのも当然にいます。じゃあ、その人達にとって、学校に努力を積み上げ成果を上げるべき対象はあるのか、、、というと疑義が残るところです。僕が中学生、高校生だった頃はスポーツくらいしかなかったし、多分、今でもそれは変わらないと思います。そうすると、本来、人は多様な能力をもち、人により得手不得手が異なるはずです。ですが、試験勉強という一つの枠しか与えられない、というのは、結局、枠からこぼれた人にとっては不幸なことでしかない、と思うわけです。

以上より、学歴、人を評価するための一つの尺度になりえます。やはり、目標に向かい努力や工夫を積み上げる、ということは、なにごとをなすにあたっても基本となるマインドでありスキルです。じゃあ、それが学歴だけでいいのか、というとそんなわけではなく、学歴以外でも評価できる軸や見方を育てておくべき、とは強く思います。特に、学校教育において試験勉強の枠から外れてしまった生徒に対して、それ以外の方向を指し示すようなことは必要と強く信じています。

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