このコロナ騒動で感じたこと71~どこまで経路を追跡すべきか?

この文章は令和2年6月28日に書いています。東京では、新規感染者が50越えという日が多くなってきました。検査体制の強化で感染が発見される人が増えている、という説がありますが、とはいえ、不安に感じるものです。

その中で、問題となっているのが経路不明感染者。どこから感染したかわからない、という人です。これが増えると、感染元を明らかにすることができず、明らかになっていない感染元からさらに多くの感染者が生み出されてしまいます。なので、できる限り感染経路を明らかにする、ということが感染拡大防止の観点から必要です。

そこで、経路不明感染者。一つは、本当にわからない場合。本人ですら、心当たりなく知らないうちに感染してしまった、ということがあります。これはある意味やむを得ないことなのかな、、と思います。

問題となるのは、感染者が行動歴を全て明らかにしないことにより、経路が特定できない場合。夜の街で遊んでいたことが家族や職場にばれると困るので口をつぐんでしまう、ような場合。これは少し困ってしまいます。

この場合、どこまで追跡するのか、というのがポイントです。大きくは公共の利益と個人のプライバシー保護の天秤をどうするか?公共の利益を重視するのであれば、携帯電話を没収してGPSで行動履歴を調べる、罰金等によっても無理やりにでも経路を聞き出す。ということは考えられます。とはいえ、個人の行動が公に明らかになると不利益を被る場合があって、個人のプライバシーが侵されてしまいます。

と、もう一つ。無理やり聞き出そうとすると、嘘をつかれる、ということもあります。わかればいいのですが、つじつまがあってしまったりして、嘘を信じてしまう。とすると、誤った経路が認識され、感染防止の役に立たなかったり、もしくは誤って感染元にされた組織や場所は色々と不利益を被ることにもなってしまいます。

ということで、これを回避するためにはどういう方策がとれるか。一つは、経路を告白した人が不利益を被らないように配慮する、ということ。つまり、得た個人情報については感染予防や拡大防止にのみ利用されるよう仕組みを作るとともに周知する必要があろうかと。そこができればもう少し、口を開くのでは。個人レベルの努力として、透明感のある行動をとるべき、ということもあるでしょう。つまり、知られたら困るようなことをそもそもしない、と。そうすれば、コロナ感染以外のトラブルで自分の行動を開示しなくてはならなくなっても、まあ、大丈夫でしょう。

ということで、経路の特定には、公共の利益と個人のプライバシーの両立が課題となります。強制力を発揮せずとも、経路について明らかになるように、したいものですね。

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