雑草取りから考えるコントロール感の重要性

最近、千葉のほうに田んぼを借りて、米やら大豆やらを育てています。その際、特に田んぼでは、雑草取りが必要となり、2週間に1回程度草取りをしています。その時に気付いたことをば。

小学生の頃のおもひで

小学生の頃、よく学校で草取りをさせられました。その時は、20分~30分程度の間、校庭とかの草取りをやらされていました。その際は、いつまで、草を取ればいいのかよくわからず、時間が終わるか先生が「こんなもんでいいだろう。」というところまでやっていました。いつまでやればいいのかわからない感が、すごく嫌だった覚えがございます。

今回の草取り

今回は50平米の田んぼを借りてそこで米を育てています。そして、そのそばの畝に大豆を育てています。そこの草取りをしていますが、これがまあ大変です。特に田んぼは50平米だけですが、雑草も良く育つので、1回で取りきるのに3~4時間程度の時間がかかります。ただ、この場合、自分でどこまで草を取るか決めることができる、というところが味噌です。大体の場合は、とれるところまでとって、あとはもういいや、という感じで終わらせてしまいます。この場合、大変ですが、精神的にはそれほど辛くはないですな。

コントロール感を持っていると

同じく草取りなのに、小学生の頃と、今回ではそれに対する心持が異なります。どうしてか、というと、そこにはコントロール感というものがあります。

小学生の頃は先生に言われてやっており、どこまでやるかも先生が全部決めてしまい、自分はただ手を動かすだけ。つまり、先生が全てをコントロールしています。

他方、今回は、いつの時点で草取りに行き、どこまで草を取りきるか、どこで終わりにするか、自分で決めることができます。もちろん、草の生え方等外的環境は考慮しなくてはいけないのですが、それでも自分で決めることができる、というのは心よいものです。

このように自分がコントロール感をもっているかどうか、ということについては、そのことに対するやる気に対して大きく作用します。つまり、同じことであっても、やらされていれば面白くないことも多いです。このようにコントロール感をもって対処できれば、いいのでは、と思います。

ちょっとした追記

今回は、Sosa Projectという企画で、1年間田んぼを借りて米や大豆を作っています。実家では、米やら畑やら作っているのですが、自分で一通りやるのは初めてで、いい経験になります。いつか、実家のほうでもやることになるとは思いますが、その時の予行演習として。

 

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