かつさんの私的な海外経験のまとめ~駐在vs留学

前回は、海外に出始めてから一人旅にはまり込むまでの状況をまとめてきました。前回も書いたとおりに、中国/パキスタン国境越え旅行があったタイミングから、突如人生が変わります。

というのは、2007年にそれまでの勤め先が無くなることになりました。その時の状況で、僕が上海の会計事務所で働くという話がでてきて、1か月程度悩んだ上で、この話を受けることにしました。その時は、海外で働いてみたいという憧れと、ここで出ないと一生海外で働く、ということはできないではないかという不安がこの決断を後押ししてくれたと思います。

ということで、2年間、上海の会計事務所で働くことになります。厳密には現地採用ですが、待遇は駐在員クラスという、非常に恵まれた状況です。職種としては、日系企業向け顧客の窓口/調整業務。窓口、といっても、問題が起こった場合は問題解決まで求められますので、結構しんどいです。どうしても、日系企業の上級役員(日本人であるところがほとんど)、と、中国人の会計士たちは、文化、言語、立場、価値観、職種、等等相当の隔たりがあるので、容易にコミュニケーションギャップやそれに起因するような問題が発生してしまうのです。同じ会計業といっても、日本にいた時はプレイヤーで監査の現場を回していて、こちらだと、プレイヤーではなく調整者として入る、という役割の変化があり、それに加え、文化的言語的な差異もあり、最初のうちはしんどい思いをしました。

とはいえ、現地の生活や仕事にも慣れつつあり、お客さんやスタッフとの人間関係もできあがりつつあり、プライベートでも友人も増えてきて、徐々に現地での生活も楽しく感じられるようになりました。が、個人的な事情等等もあり、2年間で退職することに。で、すわ、帰国か、というところでしたが、ひょんなところから縁ができ、サンフランシスコにあるGolden Gate Universityに留学することになりました。

留学していた時期は、2009年-2011年の間です。最初は会計学を専攻していましたが、思うところがあり、途中で経営管理学に専攻を変更します。サンフランシスコは中規模程度の都市で、落ち着いていて自由な雰囲気があるので、場所として非常に好きでした。授業も日本の大学と比べ、宿題やらレポートやらがたくさんあるのでそれはそれで大変でしたが楽しかったです。また、中国にいた時と比べ、現地に直接ふれいているような感覚があり、比較的海外にいる感が強かったのもここでの生活の特徴です。反省点としては、就労していないことのうしろめたさ等があり、若干、卒業を焦っていました。そのため、生活が本当に勉強中心となり(土曜日も勉強していました)、友達とどっか行くという遊び的要素が少なかったように思えます。もう少し、のんびり生活を楽しむ、という視点があってもよかったのかな、、と今となっては反省しています。もちろん、まったく遊んでいないわけでもなく、適宜、友達と食事したり、近郊に出かかけたりはしていたのですが。

で、2011年に卒業。それまでの間アメリカで就職するかどうか迷いました。が、「そろそろ、日本に帰りたいな。」と、思ったので、帰国することに。4年間の海外生活で少し疲れてしまったようです。自分としては、ねっこは日本にある感じで、ずっと海外にいるというのは、無理というかちょっと考えられません。

振り返ってみると、後悔というか、ああしたほうがこうしたほうがよかったのでは、と思うこともたくさんあります。とはいえ、4年間の間、海外で活動できたことというのは、通常ではあまりできないことであり、そういうことができて非常によかった、と考えはいるところです。

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