幸せの基準値をどう持つかで、幸せの感じ方が変わる~概論

幸せ、どう定義していますか。なかなか、幸せを感じること、普段ではできていない、と思います。どうしても、不正不満、愚痴がこぼれれしまいますよね。そこには、幸せの基準値が作用している、こともあるので、それについて考えてみましょう。幸せの基準値、ということは以前参加した心理学のセミナーで取り上げられていたものですが、それを自分なりに解釈してみました。

日々の生活の中で

日々の生活、なかなか幸せを感じることが難しい、と思います。というのは、競争社会の中で、会社では常に競争させられている、また、子供であっても試験勉強等で競わされている。また、メディア/インターネットは欲望を煽るようなメッセージに満ち溢れている。そういったものに流されていると、いつしか、自分の中でも不足感、飢餓感にさいなやまされることになるでしょう。そういったものに苦しまない、ためにどうすればいいのか、ということが主題です。競争社会の中では、幸せの基準値が高くなりがちになり、辛くなってしまいます。

幸せを決めるのは誰か

幸せであるかどうかを決めるのは自分自身です。つまり、自分自身が自分は幸せである、と決めれば幸せになのでしょう。自分自身、どう決めるか、ということについては、自分の中に基準値があるはずです。例えば、テストで95点を取った時に、幸せの基準値を60点くらいにおいていれば、とても嬉しいはずです。他方、幸せの尺度を100点としてしまうと、95点であっても満足はできない、となります。そのように、幸せの基準値により、幸せかどうかが決まってきます。あまり、高い基準を持ちすぎると、幸せを感じることが難しくなる、ということがいえるでしょう。

幸せの基準値はどんどん上がる

ここで、気を付けたいのは幸せの基準値はどんどん上がっていく、ということ。さきほどのテストの例であれば、最初の基準値は60点くらいだとしましょう。それが、60点をとれるようになると、それでは飽き足らず、70点とりたい、80点とりたい、90点とりたい、と要求がどんどんあがってしまいます。このように、気付かぬうちに尺度がどんどんとあがってしまいます。そうすると、同じ事象に対して幸せは感じにくくなるでしょう。

また、周囲の人の状況であるとか、ネット/メディアで目にするようなものからも幸せの尺度を引き上げられてしまいます。隣の芝生は青く見える、とはいいますが、そういう芝生によって、お隣はこんな幸せなのに、うちはそうではない、と考えてしまい、幸せの喜寿地はあがってしまう、ことになります。

まとめと

幸せの尺度、これによって幸せかどうか感じ方が変わります。幸せの基準値を少し下げてみると幸せを感じることが多くなるようでしょう。具体的な方法論については、次回以降考えてみます。

他方で、幸せの基準値があがらないといいのか、というとそれはそれで疑問です。というのは、ある一定の尺度で満足してしまうと、そこで活動が止まってしまい、結果として成長/達成感はなくなってしまいます。成長や達成感はそれはそれで人生を彩るものであるため、それを放棄してしまう、ということも人生にとってマイナスになってしまうのでは、と考えます。おそらく、幸せの基準値についても適正な水準、というものがあるのでしょう。

 

 

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