間に立つことの意義と場合

人と人の間に立つこと、人によっては往々にしてあります。なぜ、間に立つということが起こるのか、その時の意義や場合について考えてみます。

基本的には、コミュニケーションをスムーズに行うため、ということです。普通に考えると、間に人を挟むと、コミュニケーションルートがその分伸びて、真意が伝わりにくくなります。なので、それを上回るメリットがあると第三者が介在する場合があるのです。

具体的にどういう場合が考えられるか?まずは、立場です。立場が異なると、直接、話しにくくなります。部下の立場からは上司に対してもの申す事、難しいですよね。そういう場合は、ラインの外にいるような人を介してコミュニケートする、とか、他部門の上長を経由するというようなこともあります。

もう一つは感情です。つまり、当人同士が直接コミュニケーションをとると、感情的になり、もめてしまい、コミュニケーションが成立しない場合、ということがあると思います。例えば、相続で揉めに揉めてしまった場合は、双方が弁護士を立てないと収拾がつかない、ということがあります。

最後は、知識です。コミュニケーションの相互間の知識に断絶がある場合はコミュニケーションが成立しません。そういった場合、その穴埋めをする人、というのが必要になります。

これは、ぼくの過去の事例から。ぼくが中国で駐在していた時に、日系企業の日本人幹部と中国人の会計チームでのコミュニケーションの仲立ちをしていました。日本人幹部は中国の文化、価値観がわからない、あと、必ずしもすべての人に会計の知識があるとは限らない。他方、中国人にとって、日本人の考え方、あと、幹部が置かれている事情がわからない。それと、言葉についてもなかなか難しい。そういったところを自分が間に入って、足りない知識を補いながらわかりやすく説明すると、コミュニケーションがスムーズにいくこともあります。

と、書いてきましたが、間に立つコミュニケーションはなかなか難しい面があります。なにが難しく、どうすればいいか、考えてみました。

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