受験勉強が過熱することの問題点~単一の価値観、事象にとらわれてしまうこと

勉強をする、一つのことに専念する、ということは基本的にはいいことだと思っています。ただ、昨今、子供たちが受験勉強を強いられていること、については疑問に思うことがあります。そんなことを徒然とまとめてみました。

単一の価値観/能力にとらわれる

受験勉強ができるといい、いい高校、大学にいくと優秀だ、ということにとらわれてしまう可能性があります。本来であれば、お勉強、ということはその人をかたどる一つの要素であり、他にも色々な要素があります。例えば、スポーツができる、手先が器用、絵が上手、等等ですね。ただ、受験勉強、というものに専念してしまうと、そういった他の要素を無視されてしまう、可能性があります。そうすると、単一の能力、単一の事象に縛られてしまい、他の要素を伸ばせなくなってしまう、という問題があります。

勉強ができない人が辛い

一つの価値観にしばられると、その物差しで全てが評価されるようになってしまいます。そうすると、そのことが苦手な人、できない人というのはネガティブな評価を受けてしまいます。その際、他の価値観、評価基準があれば、そちらで評価されるということもあるはずです。しかし、受験勉強というものさししかないと、それができないと評価されない、ということになってしまいます。そうすると、いくら他のことができても評価されない、ということで、勉強ができない子には救いがなくなってしまいます。

際限がない

一つのことにみんなが力を注ぐと際限がなくなります。受験勉強、多くの人が世間的に良いとされる学校に行来たいと思い勉強します。ただ、学校自体の受入人数には制限がある。そのような状況下だと、競争なので一人の人が勉強を頑張り成績が上がるとほかの子も勉強する。さらに、他の子の成績があがると、負けじと勉強する、、、ということで、どんどん、どんどん勉強する時間が増えてしまい際限がなくなってしまいます。

まとめ

受験勉強、そのものがまずいのではなく、受験=いい学校=いい人生という価値観に染まってしまうところに問題があるのでは、、と思います。これを解消するには、多様性ということがポイントになってくることでしょう。これについては別途書いてみたいと思います。

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