信じることの強さと怖さと

人でも、考え方でも、信じることがある、というのはとても心強いことです。ただ、そこには、怖さもあります。今回はそんなことを綴ってみることにします。

一人でも二人でも、心の底から「この人のことは信じてもいい」と思える人がいるとそれだけで幸せです。家族、親族、夫婦であっても、状況や価値観で、時として信じれない、ということはあると思います。もちろん、信じる度合いはあるので、完全に心を許すのは難しいのですが、ある程度でも信じることができる、、というのはいいのかな。

それと、考え方やメソッドでも、それを信じているか、半信半疑なのかで効果に差がでてきます。「このとおりにやるとうまくいく」というのと、「大丈夫かな〜」と思いながらやるのでは、取り組み方に差が出たり、うまくいかなかったときの粘りに差がでます。当然、信じてやったほうが成果が出やすいです。

ですが、その反面、信じると手痛いダメージを受けてしまうことがあります。例えば、信じている人に裏切られると、精神的なダメージ、大きいですよね。場合によっては人間不信に陥ってしまいます。また、信じる心を悪用する犯罪が詐欺なので、誤って詐欺師を信じてしまうと、大きな経済的損失を被ることがあります。方法論とかだと、効果がないことを延々と繰り返してしまったり、考え方だと、社会からかけ離れてしまう、ということもあります。

じゃあ、どうするんだよ、、ということですが、まず、信じるかどうかの吟味はきちんと行う。前評判、周囲のクチコミ、情報、あとは少し試してみる、ということもあります。裏切られたときのシミュレーションをしておくのもいいかもしれない。それから、信じてもいい、と思ったら思い切って信じる。ただ、継続的なモニタリングや、信じる期間の設定、というのも必要でしょう。また、信じたときの結果を振り返って、「信じる」ということの結果評価や次以降の方針を考える。言ってみれば、信じるという行為についてPDCAサイクルを回していく、ということになるでしょう。

ということで、信じることについては、一定のリスクが伴います。ただ、全ての人、事柄に対して不信感を持っていれば、精神的に辛いし、物事も先に進みません。なので、リスク管理は適切に行いつつも、どこかでリスクをとって、えいっと何かしらのものを信じてみることも必要となります。

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