先がない、と、先が見えないは明確に違うのだ

先がない、のと、先が見えない、似ているけど、決してそうではないのです。見えないのは、見えないだけで、ないわけではないのですが、そこを混同する人は結構いるような気がします。今回は、そんなことをば。

先が見えない、というのは、どうなるかわからない、ということです。よくなることもあるし、悪くなることもある。悪くなることが見えている、とか、よくなる方策が全くない、ということとは違うのです。

ですが、先が見えない、と不安に陥ってしまうのも、これまた事実。人間の志向として予測可能な道を進んでいきたい、という安心を求めてしまいます。ので、先が見えないと、往々にして最悪の事態を考えてしまうものです。なので、先が見えないと、時として絶望してしまうことすらあります。

ただ、実際は悪くなるのは限らないので、ここで、暗い気持ちになるのは損な気がします。むしろ、もっと、明るい未来をみたいかな。

ではどうするか。見えないことが不安であれば、できる限り、見えるように努力する。どうやったら、よりいい方向に進めるか、考えて行動する、ということです。多くは漠然とした不安をもっているので、それを具体的な事象やリスクに落とし込んでいくことです。

あとは、シナリオを複数考える。ベストシナリオ、ワーストシナリオ、ほどほどシナリオ、3パターンくらい作ります。さらに、確率なんかを考えてみると、かなり、先が見えやすくなります。それを見たうえで、方策を考え実行していく、ということが大切です。

あと、どうしようもないことはどうしようもないので、これは所与のものとしてとらえる。いくら、世界情勢が不安定だったり、事故や災害がおこっても、できることに限界があります。なので、粛々と受け入れていくしかない。とはいえ、意外と自分でもできることはあるので、それはしていくことが必要でありますが。

ということで、先が見えない、と不安になりがちです。必ずしも、そうではない、ということを認識したいものです。

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